懐かしの東武鉄道 大谷石材専用線跡


鶴田沼西側付近


姿川第2小学校北側付近

日光線とのオ−バークロス部


  大谷町の立岩駅と東武宇都宮線江曽島駅とを結んでいた、大谷石材専用線が昭和39年に廃止されてから12年後の昭和51年冬、ちょっとした興味からカメラをぶら下げてほぼ中間地点の鹿沼街道との交差点から、日光線鶴田駅付近までの約4キロの区間を歩いてみました。当時はまだ東北自動車道の鹿沼インターへ通じる道路さえ工事中で、線路は勿論、沢山の木製電柱や踏み切り等が残存し、何処からともなくトロッコ列車がやって来そうな雰囲気でした。うっそうと茂る森の中を一直線に伸びる鉄路は、当時でも本当に不思議な空間だったのです。あれから28年の歳月が流れ、現在は環状道路や住宅地の建設で遺構と言えるものは殆ど残っていませんが、住宅の途切れた僅かな空間に、静かに眠る築堤や橋脚を見る事が出来ます。

  尚、掲載した画像は昭和52年夏頃に撮影したものも含まれており、その時既にこの区間の線路は取り払われていました。


  出発点は鹿沼街道との交差点で左側の砂利部分が線路跡。画面右側が大谷方面だが、既に道路工事が始まっていた。遠方のバスは新鹿沼発宇都宮駅行きのいすずBU10/川崎 (栃2い 14-25)

  N外科医院の西側から、M幼稚園方を望む。立っている場所には「ふみきりちゅうい」の看板が残っていた。


  砥上団地の外れから、南方を望む。


 線路端で静かに佇む勾配標。


  鶴田沼の西側部分には、うっそうと茂る森の中を線路が一直線に伸びていた。


  その森の南側から撮ったものだったのか、場所が定かでない。


 木製電柱に付いていた、東武鉄道 五四 昭和ニ六年六月と
 書かれた板。


  日光線とのオーバークロス部周辺は、高い築堤の上を
  走っていた。


  小川に架かっていた小さな橋。


  左と別の橋だが、線路は外され枕木も朽ち始めていた。


  市道の傍らに、大谷石の橋脚だけが残されていた。


  市道を跨ぐ、大谷石を積み上げて架けられた立派なガーダー。


  クルマ1台やっと通れる狭い農道上の低いガーダー。


  前方右奥が鶴田沼である。鹿沼インターへの取り付け道路は
  未だ無い時代。


       上と同じガーダーを逆サイドから見上げる。


    左側の日光線と、すぐ隣の農道を跨ぐガーダー。


  畑の一部になってしまった部分。右には遺構らしきものが見える。

  無造作に投げ捨てられた、役目を終えた枕木。



そして、現在も静かに眠っている遺構が存在しています。その一部を紹介します。

   砂利道の脇に残存している遺構、今にも倒れそうな木製電柱。そこに貼ってあったのは、東武鉄道 七八と書かれた板であった。
   ※2004年秋に撤去されました。

  40年の時を経て、完全な形で立っているハエタタキも発見。これが今日存在している事自体が奇跡的。

  その少し先の木立の左端にもハエタタキらしい遺構があった。


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