さようなら 新常磐交通自動車の植田駅−天の川線



眩しい朝日を背に受けて立つバス停。


方向幕変換中に一瞬現れた「田人」。表示が天の川→田人→植田駅の順に並んでいる為だ。


バス通学の最終日は、地元の人達が大勢集まった。


普段はバスの時間に合わせて、子供達がぽつりぽつりとやって来るだけだった。


上5枚 天の川


田人診療所が、学校への最寄りのバス停。天の川を発車したバスは、5分足らずで到着する。


徒歩で登校して来た子供達と合流し、学校へと向う。



名前だけの田人診療所。実は数キロ先に移転した為、現在は跡形も無い。


山間に子供達の歓声とバスのエンジン音だけが響く。 上5枚 田人診療所バス停


隣は上遠野行きのCJM500/川崎だが、何故か方向幕は未使用で、紙で行先が表示されていた。


廃止を通告する紙が空しく風に揺れていた。


最も植田駅寄りの乗り場が、天の川線だった。上3枚 植田駅前


  2006年9月30日限りで廃止された、新常磐交通自動車の植田駅⇔天の川線。ロマンチックな行先表示幕はついに見納めとなりました。平日の朝夕のみ、たった2便の運行でしたが、地元の子供達の安全な通学の足となっていました。所々道幅が非常に狭い為、中型のRJ172BAの独断場でした。それでは最後の姿を画像と簡単な説明でご紹介します。(撮影日:2006.9.15、9.29)



バス停そばの林道入口に有った天の川の案内図。小さな集落だ。

7時10分頃、予定よりやや早めに下りの1便目が到着。Uターンして上りの第1便となる。既にお客さんがバスを待っていた。

地元の小学生達が次々とやって来る。通学の大切な足なのだ。

お客さんが10人程度になると、定刻通り出発して行った。田人(たびと)の古い町並みを抜けて行く。

幾つかのバス停を通過すると、学校に程近い田人診療所バス停へ到着。

バスから降りた子供達は、徒歩で登校中の子供達と合流し、学校へと向う。空っぽになったバスは植田駅に向けて発車。

バスを見送る子供達。10月からはこの後姿を見る事は無い。


バス通学としては最終日となる9月29日、地元の小学校の校長先生や親御さん達が、朝のバスを出迎えた。

こんな平凡で平和な日本の原風景が、また一つ消えて行く・・・


植田駅で出発を待つ下りの2便目。隣には上遠野(かとうの)行きが並ぶ。

上遠野行きは頻繁に発車するが、天の川行きはここで長時間待機していた。

跨線橋の階段から俯瞰すると、RJ172BAの間に稀少な北村車が混ざっていた。

まだ4時過ぎだったがすっかり日も傾き、街灯の長い影がバスに落とされていた。

途中の田人(たびと)止まりの便も平日のみ運行されている。こちらも廃止となる。


二人のお客さんを乗せて、2便目が夕刻の天の川に到着した。辺りはすっかり秋の気配だ。

この光景ともあと半月でお別れ。


バスが通っていた事実は、ゆっくりと人々の記憶から消え失せてしまう事だろう。

田人(たびと)町旅人(たびゅうと)は、とても良い響きの地名である。



今日も天を仰いでひっそりと立つ、天の川バス停・・・

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