伊予鉄道の日野BT51/金沢、帝国


  大学生活も中盤に入った1983年4月、知人から松山にBT51が大量にいるとの情報を得たので、半信半疑で行ってみる事にした。宇都宮から岡山へ一気に移動し、市電や下津井電鉄を撮影後、深夜に宇高航路で四国に入り、急行列車で松山へと向った。雨上がりの松山駅に到着し改札口を出た時に、真先に目に飛び込んで来たのが、正にセンターアンダーフロアエンジンの日野ブルーリボン、BT51だった。1967年及び1969年製造の金沢ボディ車は標準幅ボディと狭幅ボディがおり、更に非常口を後部中央部に持つ懐かしいスタイルであった。一方、1967年製造(未確認だが、1968年製造車もいたかもしれない)の帝国ボディ車は標準幅ボディのみで非常口を右側面最後部に持ち、後部窓は連続になっている近代的なスタイルであった。本来なら正面中央部に、「ブルーリボン」のロゴが入った横長の飾り帯が有るのだが、ここの車両には取り付けられていなかったのが残念であった。駅前で暫く撮影した後市電で道後温泉へ行き、ゆっくりと温泉に浸かって疲れを癒し、帰りはこのBT51に乗車して松山駅に戻った。その後、松山城周辺で市電や路線バスを撮影し、次の目的地である阿波池田へと向ったのであった。


これは1969年製造の標準幅の金沢ボディ車だが、年式の割りにはモデルチェンジ前の古い丸型ボディを纏っていた。


こちらは1967年製造の金沢ボディの狭幅車で、丸型ボディ末期に製造されたものである。


奥道後温泉観光バスのオバQも、松山駅に頻繁にやって来た。


日野の中型、大型車のみが松山駅前に並ぶ。系統札が良い味を出している。


金沢ボディの65-91の車内。



上2枚 帝国ボディ車は後部に非常口が無い為、金沢ボディ車とかなり印象が異なる。



上2枚 松山機関区では、古豪DF50が最期を迎えようとしていた。


広々とした国鉄松山駅前のロータリー。




雨上がりの松山駅前で最初に目にしたBT51は、狭幅の65-83であった。

中型のRLや大型のRCに混ざって、丸いボディのBT51が次々にやって来た。

狭幅車は、非常口の窓が縦長であった。

市電と顔を合わせる65-83。

市電と並走する狭幅の65-84。右は拡大写真。

これも狭幅の65-85。

標準幅の65-91。非常口の窓が略正方形であるので、見分けは簡単についた。

道後温泉には、バス専用のターンテーブルがあった。

65-91の車内。

道後温泉から松山駅まで、この65-91に乗車した。

道後温泉と松山駅とをピストン運転していた65-91。

1967年製造の帝国ボディ車。後部に非常口を持つ旧型スタイルではなかった。

のっぺりとして、何か物足りない感じの後部。

帝国ボディ車は、エンジンへの吸気口の位置が低く目立たない。

縦長の非常口の窓がユニーク。

松山城付近にて66-32を捕えた。

6600番台は、1968年製造かもしれない。

ロングボディのRCもやって来た。

1969年式と、最も年式の新しかった60-13。方向指示器の形状が他車と異なる。

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